interview
「よく我慢したな」
―― いじめられっ子だった少年が、
"面白がる経営者"になるまで
残業を減らし、データを一か所に集め、AIに任せられることは任せていく。町工場の景色も、この十年で静かに変わってきました。信濃工業も、その流れのなかにいます。
では、仕組みが整ったその先で、会社を動かしているのは何なのか。江尻社長から返ってきたのは、とても軽やかな言葉でした。
——「面白がることです」
どんなに悪い状況でも、「これ、面白い状況だな」と思えてしまう。だから楽なのだ、と江尻社長は言います。ただ、話を聞き進めるうちに、その明るさが、生まれつきのものではないことが分かってきます。
「よく我慢したな」
インタビューの終盤、「若い頃のご自身を、ベタ褒めするなら?」と尋ねた。返ってきたのは、称賛でも武勇伝でもなかった。
よく我慢したな、と思いますよ
小中学校の頃、江尻少年はずっと、いじめられる側だった。休み時間になるのが嫌で、机に伏せてやり過ごしていた。それでも、学校だけは休まなかった。「行かなくなったら、負けだと思っていた」。先生に遠慮なく訴え、校長にも伝えた。それでも、状況はなかなか変わらなかった。
先生に『お前、これだけいじめられて、よく学校来れるな』って言われて。……それ、先生として言っていいのかな、とは思うんですけど
そう振り返りながら、社長はもう一度、静かに言った。「よう我慢したな、と思います。それだけです」。
ただその我慢を、手放しで肯定しているわけではない。
我慢強い、っていう、いい面もある。でも、自分が壊れるまで我慢した。そこまでせんでよかったんじゃないか、っていうのも、今は分かるんです
強さと、その代償。その両方を、今の江尻社長は正確に見ている。そして、こう続けた。「だから、ちょっと前の自分には、いつも言うんですよ。よく我慢したな、って。だったら、その我慢した自分を、もう少し幸せにしてあげたいな、って」。
過去の自分を、いまの自分が労い、幸せにしていく。江尻社長の経営は、どうやらそこから始まっている。
「悪口は、
受け取らなければ相手に返る」
我慢し続けた少年は、大人になって、感情との付き合い方を一つ、身につけた。きっかけは、仏教の話だったという。
お釈迦様に、面と向かって悪口を言う者がいた。それでも涼しい顔をしている釈迦に、周りが尋ねる。なぜ言い返さないのか、と。釈迦は答えた。人の悪口は、受け取らなければ、そのまま相手に返る。だから、受け取らない。それでいい——。
それを聞いて、あ、なるほどな、と。
この考え方を、江尻社長は社員にも伝えている。会社には「人前で悪口を言わない」というルールがある。それでも世には、悪口を言ってしまう人はいる。そういう相手に絡まれたら、「相手にしなくていいよ」と。その悪口を言う人を見ていると、どうも幸せそうには見えない。受け取らない強さは、いじめられた側だった江尻社長が、身をもってたどり着いた作法だった。
「人としては、
対等ですから」
その姿勢は、社員との距離の取り方にも、まっすぐ表れる。
社員とは、人としては対等ですから。役割が違うだけで
だから、社員に「社長は大変でしょう」と労われるのが、あまり好きではないという。「社長なんだから大変だろう、って—それは勝手に決めないでほしい」。かつては「人が大事」と言いながら、仕事を全部自分で抱え込んでいた時期もあった。「はたから見たら、気持ち悪かったでしょうね」と笑う。いまは逆だ。あまり口を出さず、問題があれば言ってきて、という距離を取る。「そうすると、みんな、のびのびやるんですよ」。
社長がそばにいすぎると、社員はやりにくい。かといって、いなさすぎても不安になる。「適度にいてください、って言われるんですよ。複雑なラインですね」。その"適度"を保つために、社長がまず心がけているのは、いつも機嫌よく、健康そうにしていること。「社員が見て、あ、社長が笑ってるな、健康そうだな、って思えれば、それでいい」。銀行との面談でさえ、分厚い計画書は出さない。雑談で終わる。「社長のご機嫌」こそが、いちばんの説明になっている。
面白がる力は、
鍛えられる
この余裕は、どこから来たのか。一つは、働き方を変えたこと。かつては残業続きで、余力を全部使い果たしていた。「そりゃ、病むよな、と。でも、それって誰でも一緒じゃんって気づいて。だったら、自分と同じ思いを、社員にはさせないようにしよう、と」。仕組み化し、残業を減らし、完全週休二日にした。ゆとりが戻ってはじめて、状況を「面白い」と眺める余白が生まれた。
もう一つは、意外にも、筋トレだった。「筋トレすると、しょうもないネガティブな感情が、消えるんですよ」。体力がつけば、思考も整理され、腹も据わる。連泊で行う趣味のバーベキューをやり切る体力もつく。
そして、AIについても、態度は一貫している。「AIは、手段。目的にしちゃう人がいるけど、それは違う」。会合での対話を記録し、要約させ、あとで見返す。記憶の負担が減った分、次の一手に頭を使える。「AIが進むほど、逆に、豊かな人間力とか人間性が、肝になってくる」。
いちばんの原動力は、
「喜んでもらうこと」
では、その面白がる力を、いちばん奥で動かしているものは何か。それを言い当てたのは、社長自身ではなく、入って間もない若い社員だった。
その子が、ある日『社長って、人に喜んでもらうことが好きなんですね』って言ってくれて。あ、そうか、と。そこで初めて気づいたんです
会社という場に、
あの原風景を
「喜んでもらう」の源泉をたどると、江尻社長が幼い頃に過ごした故郷の風景に行き着く。人が集まり、囲炉裏や食卓を囲んで、その土地の名産を分け合って食べる——そんな温かな原風景だ。祖父母から受け継いだ記憶が、いまも江尻社長の芯にある。
毎年欠かさず、故郷の名産を大量に仕入れ、社員に惜しみなく配る。ときには「そんなに配らなくても」と言われるほどの量だが、江尻社長は譲らない。せっかくもらったものを、身内だけで抱えて腐らせてしまうのは許さない。分け合ってこそ、あの風景になる。
バーベキューも同じだ。出欠は取らない。来たい人が来て、火を囲み、わいわいと食べる。あの囲炉裏端を、いまの時代のかたちで再現している。
駆け込み寺のような会社でありたい、というのも、根は一つ。困りごとを持ち込まれれば、「はいよ」と引き受ける。「人の困ったを解決して、喜んでもらう。これって、商いの原点じゃないですか」。
人が集まり、分け合い、囲んで食べる——江尻社長は、幼い日に受け取った温かさを、会社という場でつくり直そうとしている。
会社は、
そこで働いた人がつくってきた
もう一つ、社長が繰り返したことがある。会社の歴史は、経営者一人がつくったものではない、ということだ。
かつて、経営の方針をめぐって、身内と真っ向からぶつかった時期があった。会社を私物化する流れに、どうしても賛成できなかった。社長を辞めさせられかけたことも、社員から退職願が相次いだこともある。それでも、退かなかった。「私がここで抜けたら、この会社はすぐ終わる。それだけは、分かっていたので」。
その修羅場を越えて、たどり着いた実感がある。「会社をつくってきたのは、俺たちじゃない。そこで働いてくれた社員が、つくってきたんです。俺たちは、それを保ってきただけ」。だからいま、社長は「誰でも継げる会社」を目指している。掲げるビジョンは「誰でも働ける機械の総合メーカー」。その言葉には、いつか継ぎたい人が現れたときに、ちゃんと続いていける会社でありたい、という願いが込められている。事業承継で苦労した経験は、いまでは他社の親子の関係修復を手伝う仕事にもつながっている。自分がした苦い思いを、他の誰かにはさせたくない。ここでもまた、原点は同じ場所にある。
仕組みの時代に、
「面白がる」を
はじめから、経営者だったわけではない。もとは、機械の前で一人、黙々と物をつくるのが好きな職人だった。「自分一人で、誰にも関わらず、何かをつくりたい」——そういうタイプだったという。けれど、一人の力はたかが知れている、と、早くに気づいた。人に頼み、人と関わってやってもらったほうが、ずっと遠くまで行ける。その気づきから、江尻社長の経営は始まった。
AIがどれだけ賢くなっても、会社を動かしているのは、最後はやっぱり人だ。悪口を受け取らない。共感してくれる人を守る。人として、対等に向き合う。そして何より、どんな状況も面白がる。仕組みでは代えのきかないその態度を、江尻社長は、いじめられっ子だった少年の頃から続く長い道のりの果てに、手に入れた。
「よく我慢したな」と、あの頃の自分に言える。だから、いまを面白がれる。信濃工業・江尻社長の歩みは、きっと、これからも軽やかに続いていく。
取材後記
江尻社長は、立て板に水のごとく、よどみなく話される方です。次から次へと言葉があふれ、聞いているこちらまで、いつのまにか楽しくなってくる。その明るさには、周りの人をふっとほぐし、明るい気持ちにさせてしまう、不思議な温かさと安心感がありました。
だからこそ「よく我慢したな」と朗らかに笑う人の明るさが、実は深いところから汲み上げられたものだと知って、その一言に、江尻社長のすべてが詰まっている気がしました。
自分が受けた痛みを、他の誰かに味わわせない。自分が受け取った温かさは、今度は会社という場で分け合っていく。強さも傷も隠さず、それを静かに人への優しさへ変えていくその姿に、その姿に、取材を終えたいまも、畏敬の念が消えません。